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天国に戻った兄姉の話〜その2大歓喜の世界

はい、まさみです。

その1の話で、ある事が起こったから、職場の副店長に休みをお願いした、とありました、そのある事を書きたいと思います。

当時2011年4月下旬は悪阻が始まりながらも、ほぼ1日中歩き回るか、走らざるを得ない状況で、日を追うごとにグロッキーになっていました。
それでも、何とか働いていました。

でも、接客で笑顔作るのも無理なくらいグロッキーな状態で、バックヤード入口の重い鉄の扉を何とか押し開けようとしたその時、不思議なことが起こりました。

グロッキーなはずの私のお腹の底が、急にうずうず?ワクワクして、何かが噴出するような勢いで、

ヒャッホーーイ!!!!
☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆

と言う、ふなっしーか、はたまた、さかな君みたいな、超ハイテンションの声が聞こえて来ました。

なんだ?なんだ?!(◎_◎;)
私は全然そんな気分じゃないぞー!
うぇ〜気持ち悪りぃ〜´д` ;
って、グロッキーじゃい!(♯`∧´)

自分とは、全く別物に感じたその声に、もしかしてお腹の赤ちゃん?と思いました。

正直、あまり妊娠の実感がなかったですが、その声にどんなに心拍確認が出来ないくらいの初期でも、宿ってくれた命がいるんだ!と思い、身体を安静にしようと休みのお願いをしました。

でも、不安と怒り?の日々を過ごし、結局、流産してしまって、精神状態が荒れた中で、流産の手術でかなり痛く苦しい思いもして、心身共にどん底の5月でした。

それでも、この流産に何か意味があったのか?と日々問うた時に、同じく流産した友達のブログに紹介されていた胎内記憶の第一人者の池川明先生の本を読みました。

ママ、さよなら。ありがとう 池川明

この本の一文、

「着床するだけでも嬉しくて、その経験をしたいだけの為に、やってくる赤ちゃんもいる」

と言う一文を見つけた時、あのヒャッホーーイ!の声を思い出しました。

そっか、赤ちゃんは着床だけでも嬉しかったんだ。。。

そう思えたことで、なんだか救われました。

それからもずっと、あのヒャッホーーイ!の感覚を忘れられずにいました。
人に話しても、なかなか理解されないと思ったので、話すのは控えてもいました。

でも、古事記を学んでいるうちに、あのヒャッホーーイ!が、古事記が伝えたかったことなんだ、と思うようになりました。

古事記が伝えたいのは、超簡単に言えば、

神の世界の高天原はああ!嬉しい!!!と言う大歓喜の世界。
今生きているこの世も本当は高天原。
でも、異心(自我)のせいで心の眼が曇ってしまい、それを忘れてしまっている。
だから1人1人が異心を毎日祓って、自分の中に神様がいることを思い出して、この世がみんな平和で穏やかに暮らせる大歓喜の世界にしましょうね。

と言う、太古の人々の祈りを神話として伝えているようです。

古事記の先生がそう説明して下さった時に、あのヒャッホーーイ!が大歓喜なんだ、と勝手に腑に落ちました。
まぁ、違うのかも知れないですけど^^;

自分の人生で味わった事のない、ワクワク感だったので、赤ちゃんがそれを教えてくれたんだ、と感謝しています。


by 祐介 * 妊活 * 17:57 * comments(0) * -

天国に戻った兄姉の話〜その1

はい、まさみです。

祐介の蜂刺されは、当日は腫れもなくそのままで大丈夫かと油断し、後処理を特に何もしなかったら、翌日帰宅後に腫れと痒みが出て可哀想な状況になってしまい、慌てて救急病院へ。抗生物質の飲み薬と塗り薬をもらい、ひとまず落ち着きました。
とにかく、冷やしは必要でしたね(´・_・`)

さて、私はそろそろ臨月に入ります。
不妊治療、と言う言い方より、今は妊活って言うんですかね、その話を書く前に、私達にとって大切で忘れられない話を書いておきたいと思います。

お腹の赤ちゃんには、兄か姉がいたかも知れませんでした。
3.11の震災直後に妊娠したものの、心拍確認前の約8週目で繋留流産しました。
今でも、産まれてたら何歳になるね、なんて祐介と話したりします。

そんな初期流産だったとしても、どんなに初期は仕方ない、と慰められても、気持ちとしては子ども1人亡くすのと同じ位の悲しみなんじゃないかと思います。

でも、早くに天国へ戻ってしまった赤ちゃんは、色んなメッセージを残してくれたと思ってます。

当時の話です。
2011年始は府中在住でしたか、実家近くの南林間の不妊病院で治療を開始して、まずは色々な検査をしました。

結果、私に卵巣嚢腫があり、後々妊娠した場合嚢腫が破裂する可能性もあるので、まずはその手術をすることに。

紹介された腹腔鏡手術の専門病院は、府中から車で2時間近くかかる神奈川県央にありました。そこの初診日が3月中旬でした。

そして初診日を待つ間に、あの3.11が起きました。
福島原発事故の混乱の中、とにかく放射能の被曝を避ける為に、玄米、味噌、自然塩をしっかり取れ、と言うネット上の情報に従って、ばくばくそれらを食べていたら。
あら、なんかいつもより身体の調子がいいぞ?なんて体調がよくなってました。

そうして、まだ震災の混乱収まらない内に、車に防災用品を詰め込んで、祐介と共に手術する病院へ。

しかし、初診で手術日を予約する予定が、計画停電の為に手術の見通しが立たないので予約が出来ない、と帰されてしまうことに。

仕方ないので、それを不妊病院に伝えたところ、それじゃタイミングも良いし人工授精をやりましょう、と言うことで、3月下旬に行いました。

治療当日は、治療を受けたと同時にお腹に光が入って来た不思議な感覚があり、その後も何となくお腹に氣が集まるな〜、と思っていたら、まさかの一発妊娠!

子宮筋腫もある中で、よくぞ上手く着床してくれた!さすが、うちらの子!ナイスランディング!震災で、生きなきゃ!って追い込まれたから、子孫残そうって遺伝子発動した?

なんて2人で大喜びでした。

でもこの時は、私達はわかっていませんでした。自分達の状況が、まだまだ不安定だと言うことを。

府中に戻ってからは、喜びから一転して不安の毎日でした。

あまりにも初期過ぎて、親も含め誰にも相談出来なず、どうしたらいいのかわからない不安。
府中近くの、三鷹市の浄水場から放射能が検出されたニュースに、赤ちゃんの遺伝子にどんな影響があるのかわからない不安。
それでも玄米とか食べてたら何とかなる、と思ってたのに、悪阻でそれらが全く食べられなくなり、慣れない悪阻にも、どうしたら赤ちゃんを守れるのかわからず、プチパニックになってました。

さらに、当時はどこまで身体を安静にしたらいいのかわからずに、農園のイベントの手伝いで動き回ってしまったり、またスポーツ用品店で働いていたので、1日中歩きまわっていました。

日に日に身体もきつくなってましたが、4月5月は年間で最も忙しい時期で休みも言い出せずにいました。
ただ、ある事が起こり、かなり無理なお願いをして、休ませてもらうことにしました。

休むお願いを副店長にした際に、渋々OKしてくれたものの、話し合いの終わり際に、「お腹蹴っていい?」とのブラックジョーク?に、お腹の赤ちゃんを本当に攻撃されたような怒りと、何も言い返せず赤ちゃんを守れなかった様な悔しさが、どうしても消えませんでした。

そして、次の診察で、胎嚢が育っていないと言われました。
私達は、順調に育つのが当たり前だと思っていたので、信じられませんでした。それからは、泣いてばかりの毎日でした。

でも、ネットで調べれば、初期流産は本当に多いことを知りました。
初期流産は母体のせいではない、と言われても、なんで?何がいけなかったんだろう?動き過ぎたから?副店長の言葉を流せずにいたダメな母親だから天国に戻っちゃったのか?などなど、自分を責めました。

精神状態はかなり長期間悪かったのですが、何年か経つうちに色んな思いを受け入れられて来たのは、祐介が一緒に悲しんでくれて、流産の手術も付き添ってくれて、その後も天国に帰った赤ちゃんに、二人で名前を付けて、一緒に自宅の仏壇で供養してくれて、節目節目で一緒に話をして共感してくれたことです。

そして、祐介が「赤ちゃんは、妊娠は出来る身体だって教えてくれたから、またがんばろう」と言ってくれたことです。

どんな初期流産だとしても、私達の元にやって来たいと思ってくれた魂さんがいたことは、この先も2人共忘れずにいたいと思います。




by 祐介 * 妊活 * 16:27 * comments(0) * -
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