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おばあちゃん先生からの喝〜その1料理教室に通うまで

まさみです。

とうとう臨月に入りました。
出産まであと少しですが、何があるかわからないので、油断せずに過ごしたいと思いますm(_ _)m

やっと公表できた祖母の手紙(満州引き揚げ体験記)ですが、実はこの手紙をおばあちゃん先生に読んで頂いたことがあります。
そして、その事でおばあちゃん先生から怒られた、と言うか喝を入れられたのも、精神的な面で、今回の奇跡的な妊娠に繋がったと思うので、書き残したいと思います。

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まずは、流産後からおばあちゃん先生の料理教室に通い始めるまで。

2011年は、私の体力が急降下した1年でした。
その大きな原因は、2009年から開始した歯の大掛かりな治療(ブリッジを25年ぶりに外し、インプラントを入れた)で、噛み合わせが崩れ、それで身体全体のバランスも大きく崩れたからでした。

遠方の歯医者でしたが、もうそこでは手に負えず、都内で探すも、特殊な症例だからうちでは出来ないと6軒程の歯医者に断られました。

そうしている内に、歯の歪みがどんどん極端になり、噛めば噛むほど頭蓋骨が歪み、頭痛で吐き気もし、身体の奥がどんどん冷えて、真っ直ぐ立つ事も難しい状況でした。

そんな中での、2011年5月に流産手術、その2ヶ月後に卵巣嚢腫の腹腔鏡手術、その後年末に向けては、猛烈な疲労感に襲われることが多くなり、不整脈も出始め、何とか立ち仕事をこなすも、寝込む時間が増えてました。

そして、2012年始め、余りの息苦しさと倦怠感に検査したところ、橋本病(甲状腺機能低下症)と診断されました。

ご時世的な症状なのか?と心配しましたが、後々わかったことですが、不妊検査の一つである卵管が詰まってないかの卵管造影検査で使用したヨード造影剤のアレルギーが原因だったようです。
親や兄も同じアレルギー持ちでした。
なので、2年ほどかけてヨード造影剤が身体から抜ける程、症状は改善はしました。

ただ、橋本病は不妊治療の妨げでした。
なぜなら、甲状腺ホルモンが不足すると、排卵や月経に影響を及ぼすからです。

余りにも急降下する自分の体力に、このまま行ったら、私はあと何年生きられるんだろう、と当時は本気で悲観していました。

そんな中でも、今回の妊娠で本当にお世話になった身体全体を診てくれる、ホリスティックな不思議な歯医者と、2011年9月にご縁がありましたが、そこの初診では、「大病一歩手前」と言われる程でした。

さらに、不妊治療のことを相談すると、「人一人の命を産む、と言うことは、とんでもないエネルギーがいることだ。今のあんたは自分の命を維持するエネルギーもない。治療はやるだけ金の無駄になるから、いいと言うまで治療はやるな!」と言われました。

そう言われて、かなり焦りました。
なぜなら、私には肉体的に治療できる時間があまり残されてなかったからです。

それは、当時の私の身体にもうほとんど卵子が残っていなかったからです。

AMH検査(卵巣年齢検査)により、出た数値は0.5。
当時37歳の私の卵巣年齢は50歳ほどと診断され、あと数年で閉経、早期閉経してもおかしくない、つまり子作り出来る時間がほとんど残されていない、と言われていたからです。
だから、流産手術後も、無理してすぐに卵巣嚢腫の手術をしたのでした。

ただ、この卵巣嚢腫も後々わかったことですが、腹腔鏡手術の際に、レーザーの高熱で卵巣を焼き切るので、卵子が死滅してしまったようで、2年後に再検査した時には、もう絶望的な0.1と言う数値でした。。。

そんな中でも、何とか急下降する体力を止めたい、少しでも何とかしたいと、子宝マッサージ教室通ったり、救いを求めて行動した中で、大きな影響があったのが、2012年9月から、おばあちゃん先生の玄米菜食の料理教室に通い始めたことでした。

子宝マッサージ教室では、食事指導もあったのですが、あれもこれも食べちゃダメが多過ぎて、一体どーすりゃいいんだー!と。

じゃあ、マクロビオティック教室でも通おうか、とも思うも、理論先行でストイックになりそうで、何が違う気がして。。。

そもそも、私は『食べる』ことにあまり興味や感動がありませんでした。
大食いでしたけど満腹になればいいという。。。
だから、料理も苦手でした、と言うか今もですが。。、

さらに、出産と言う命を生み出すことが出来ずに悩んでいながら、そもそもずっと昔からイマイチ生きてる実感を感じられずにいました。
そんな生きることがわかっていない私が命を生み出せるのか?

それと、ご時世的に放射能の影響で産んで大丈夫なのか?が心配でした。
本気で九州の移住も考えたことがありました。
ただ、例えどこに逃げても、逃れられない問題だと思いました。
ふと思えば、地球上に生命が生まれてから、常に放射能の影響はあったはず。
それに、耐え得る生命が生き残ってきたのだから、今回も自分の生命力が耐えられるか、乗り越えられるか、それとも負けて力尽きるか、どちらかじゃないか?と。

そう気付いたら、20代の頃聴いたおばあちゃん先生の講演を思い出しました。

あの先生は、食を通じて本質的なことを、人として大切なことを伝えていた、真理を分かっている、自分を根本的に正さないといけない気がする、自分の生命力を高めるには、この人の元で学ぼう、と藁をも掴む思いで、料理教室に通い始めました。

料理教室は毎週1日、10時から15時くらいまで。
おばあちゃん先生が料理を教える訳ではく、別に料理の先生はいらっしゃいます。
ただ開始前に、毎回必ずおばあちゃん先生の貴重なお話が1時間、と言いながら、ヒートアップして1時間半から2時間近くありました。
お話は料理についてだけではなく、生き方、人としての在り方、命の繋がりなどについてでした。

食べ方は生き方
命を頂くことの感謝
結婚とは血を継ぐこと
日本の本当の歴史
などなど。

放射能に関しても、広島原爆で被曝されても、玄米菜食を続けたことで、ご本人にも全く症状も出ず、この後3代に渡っても何も症状が出ていないと言う、料理教室の卒業生の体験談も知り、心強く思いました。

そして通い始めた頃の私は、先生から指名されて返答を求められるので、緊張の連続でしたが、それでも30分も座っているのが辛く、元々低血圧で朝が苦手なのもあって、殆どウトウトと寝てしまっていました。

それでも、這うようにして何とか休まずに通い続け、家でも玄米菜食を取り入れ、1年経つ頃には、ふと気づけばおばあちゃん先生のお話を寝ずにしっかり聴ける体力もつき、橋本病の影響でしわしわカサカサだった肌も、潤いが出てきました。

ただ、自分としては料理も先生が伝えたいことも、この1年では腑に落ちてないと言うか、身につけられていないと思っていました。

かつて私は、パラグライダーのライセンス取得の時も、余りにも下手過ぎて、普通の人の2倍、時間掛かりました。
なんでこんなに私は出来ないの〜?
(T ^ T)
と悔しい思いしましたが、そのお陰でしっかり基礎が身についたので、その後はトラブルもケガもする事なく飛べた経験があります。

なので、先生の教えもしっかり身につけたいから、もう1年同じレベルのクラスに通いたい旨、料理教室の先生にお願いしました。

ただ、料理教室は毎回キャンセル待ちが出る程の人気で、初めての人優先とのことでしたが、ひとまずキャンセル待ちで来期の申込みしました。

そして、料理教室卒業の際に、おばあちゃん先生にお礼の品をお渡ししつつ、急に祖母の手紙を読んで頂きたくなり、思い立って原本も一緒にお渡ししました。

そして、2013年8月出雲の健康学園に参加することになりました。
by 祐介 * - * 12:00 * comments(0) * -

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